ヌックって、結局なんなんだろう
最近、頭の中の「家妄想」フォルダで、やたらと存在感を放っているのが「ヌック」。 言葉の響きがもう可愛い。ヌック。
なんとなくのイメージは、壁に穴が開いたような、小さな窪み。 そこにクッションがいっぱいあって、潜り込むような場所。
リビングのソファとも違うし、個室の書斎とも違う。 もっと曖昧で、でも確実に「自分のためだけの場所」っていう空気が漂っているあれ。
なんでこんなに惹かれるんだろう。 広いリビングドーン!みたいな間取り図を散々見てきた反動なのかな。 それとも、ただ単に狭いところが好きっていう、子供の頃からの秘密基地願望を引きずっているだけなのか。
とにかく、今の妄想上の家には、絶対にこの「ヌック」が必要な気がしてならない。
スコットランドの「イングル・ヌック」を調べてみた
気になりすぎて、そもそもヌックって何なのか、ちょっと調べてみた。
どうやら発祥はスコットランドらしい。 「イングル・ヌック(Inglenook)」っていう言葉が出てきた。 「イングル」は火、「ヌック」は隅っこや隠れた場所、っていう意味らしくて。
昔の石造りの寒い家で、暖炉のすぐ脇に作られた、火の温かさを直接感じられる小さな窪み。 それが本来のヌックなんだとか。
なるほど、北国の知恵か。 凍えるような寒さの中で、そこだけが確実に温かい、命を守るような場所。 そりゃあ、安心感があるに決まってる。
現代の日本の、しかも断熱がしっかりした家で暖炉の横に作るわけじゃないけれど、この「守られている火のそばの窪み」っていう遺伝子は、形を変えても残したい感覚かもしれない。
おこもり感への憧れが止まらない
その発祥の話を聞いて、ますます「おこもり感」への憧れが強くなった。
広い空間で家族と過ごすのもいいけど、時には物理的に距離を置いて、自分の殻に閉じこもりたい時がある。 ネガティブな意味じゃなくて、充電のための閉じこもり。
三方を壁に囲まれている、あの独特の穴蔵感。 天井も少し低くなっていたりしたら、最高だと思う。
そこに、自分のお気に入りのブランケットと、読みかけの本を持ち込んで。 誰の視線も気にせず、だらっとする。 足を投げ出してもいいし、体育座りしてもいい。 あの狭さが、逆に心を解き放ってくれるような気がするんだよなあ。
窓辺のヌックで、雨の庭を眺めたい
で、ここからが具体的な妄想。 私の理想のヌックは、やっぱり窓際がいい。
それも、ただの窓じゃなくて、視線が抜ける窓。 今回の家の妄想でいうと、中庭を見下ろせる位置にヌックを作りたい。
壁に囲まれた安心感の中にいながら、視線だけは外の世界と繋がっている状態。
特に楽しみにしているのが、雨の日。 しとしと降る雨で、中庭の植物が濡れて色が濃くなっているのを、乾いた安全な場所からぼんやり眺める。 ガラス一枚隔てた向こう側の、ちょっとひんやりした空気を感じながら、手元には熱い紅茶。
雨音がBGMになって、本を読むふりをして、そのままうとうとお昼寝してしまう。 そんな休日、想像しただけで脳内麻薬が出る。 晴れた日のポカポカもいいけど、雨の日の「趣」を特等席で味わうためのヌック。
背中が守られている安心感と、視線の抜け
普通の「窓辺のベンチ」と「ヌック」の違いって、やっぱり「囲まれ感」だと思う。
背中と、できれば左右のどちらか(あるいは両方)が壁で守られていること。 野生動物じゃないけど、背後を気にしなくていいっていうのは、深いリラックスには不可欠な気がする。
背中は守られているけど、前を向けば中庭への視線の抜けがある。 この「閉鎖性と開放感のバランス」が、たぶんすごく重要。 閉じすぎると息苦しいし、開きすぎると落ち着かない。
ちょうどいい塩梅の窪み。 設計図で見るとなんてことない小さな凹みなんだけど、そこに自分がハマった時の感覚を想像すると、家のどの場所よりも重要な気がしてくる。
「何もしない」をするための、小さな居場所
結局、ヌックで何がしたいかっていうと、「何もしない」をしたいんだと思う。
リビングにいると、ついテレビを見たり、片付けなきゃって思ったり、何かしら「すること」が発生してしまう。 個室に入ると、それはそれで仕事モードになったり、何かに集中しなきゃいけない気がしたり。
ヌックは、その中間。 本を読んでもいいし、読まなくてもいい。 お茶を飲んでもいいし、ただぼーっとしてもいい。
「生産性」とかいう言葉から一番遠い場所。 家の中に、そんな逃げ場みたいな、空白の場所がひとつあるだけで、暮らし全体の風通しがすごく良くなるんじゃないかな、なんて思ってる。
まだ図面にもなっていない、頭の中だけの窪みだけど、もうそこにクッションを置く気満々でいる。


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